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文学と平和。


牛 築路 (岩波現代文庫)牛 築路 (岩波現代文庫)
(2011/02/17)
莫 言

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とゆーことで、ノーベル文学賞の莫言氏の初期の著作です。短編2本。
ノーベル文学賞は村上春樹が毎年候補に上がるけど受賞はできず、という状況が続いています。
村上春樹の小説をよく読むこともあり、ノーベル文学賞の動向はそれなりに興味があって、では文学賞の作品・著者とはどういう文体を持ち、テーマを持っているのか興味があって読みました。

「『ダンス・ダンス・ダンス』時期の村上春樹」というのが読書後の感想。
小説の舞台としては、文革期の農村の生活や文化を書いた小説です。受賞の記事などでは反体制とか言われている部分もあるけど、あまりそうは感じなかった。「当時、支配していた空気がどんなだったのか、当時の空気は今の時代にどのような影響を及ぼしているのか」を伝えるため、フィクションを交えることでより当時の空気を強調させているようだった。「これを伝えたい」というよりかは「自分もこれがどういう意味を持つかわからないけど伝えなければいけない」というスタンスの書き方かな、という感じ。
僕は「ダンス・ダンス・ダンス」から「ねじまき鳥クロニクル」までの村上春樹の作品に共通項を感じます。最近の作品はなー伝えたいことが露骨なのか、伝えたい結末を決めて仕上げている雰囲気がして、あまり琴線に触れんのです。

中国のこういう作家が世界の表舞台で注目を浴びるということが、世界の耳目が中国に行くことだし、中国自身も含めて、過去にどういう経緯があって今こうであるのか、を理解したがっている層に向けての発信だと思いました。

文学賞がそういったテーマを発信しているとすると、村上春樹の受賞はまたしばらくお預けかもしれんと思った。それこそ、日本が世界に対して何かでライフスタイルを根本から変えるインパクトを与え、そのインパクトを理解するためのヒントが昭和後期の空気にあれば、それを理解させるフィクションとして受賞はあるとは思うけど、さてさて。
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舞城王太郎「煙か土か食い物」読了。


煙か土か食い物 (講談社文庫)煙か土か食い物 (講談社文庫)
(2004/12/14)
舞城 王太郎

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久々に再読。
舞城王太郎の話はまず主題がはっきりしていて、その主題を伝えるために、ミステリやらなんやら書きたいジャンルのガジェットを付け足して勢いで読ませてくれる。舞城王太郎の小説の主題は一貫して「愛」。家族だったり人間だったりするけど、基本的に愛。「ジョジョのテーマは人間賛歌」みたいな捉え方でいいと思う。ガジェットがぶっ飛んでいるからそうは思えないけど、いやガジェットがぶっ飛んでいるからこそテーマがはっきり浮き出るし、カタルシスもあるんだと思う。

主人公の奈津川四郎は、アメリカで働く外科医。日本で母親が事件に巻き込まれ意識不明の重体になり、帰国。母親が被害者になった事件は、連続主婦殴打生き埋め事件と名付けられ複数の被害者が出ている事件。四郎は母親に重症を負わせた犯人を見つけるため、独自に捜査を始める。悪名高い奈津川家。奈津川兄弟と父親との諍いが回想されながら物語は進んで行く。

なるほど愛ってのは、「神は至る所に存在する、ただ見えないだけ」と同様見る能力感じる能力があるかってことに尽きるのか。二郎は暴力の化身で移動式地獄と呼ばれているけど、それでも四郎は兄として愛しているし、そして二郎も含めて兄弟が最強だと信じている。奈津川家の血を貫くのは紛れもなく暴力だけど、奈津川兄弟は子どもの頃は暴力の間にある愛を見つけようとするし、大人になってからは暴力の中から愛を見つけようとする。

肉親ってやつはそんなもんなんかもしれんなぁ。お互いを素直に認め合ったりはしないし、普通は距離を置いて厄介がっているけど、危機の時には集まるし離れていても繋がっている。繋がっている事実が疎ましい時もあるし、繋がっていることを確認することが自分を確認することになることもある。家族ってのはよくわからん。よくわからんけど愛されるってのが家族みたい。

家族なんて他人に自慢できる点なんて何もないし、そもそも他人に話したいとも思えないけど、でもその場にいてもいなくても気になってしまうのが家族なのかと思った。家族-他人って何気なく対比したけどこれも血で分けて考えているってことだもんな。家族じゃなかったら会話も成立しない人もいるだろうけど家族だからというだけで、ものすごく仲のいい友だち以上の関係になるんだし。

「人間死んだら、煙か土か食い物になるんや」家族からのこの言葉を呪いとして受け止めた四郎はどうやって救われるのか。怒涛のごとく進んでいく奈津川兄弟は爽快そのもので、文体でここまで勝負ができる舞城王太郎はすごいなぁと思います。

ディスコ探偵水曜日再読了。


ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)
(2011/01)
舞城 王太郎

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再読したら、感想を書きたくなる。まぁ1,457ページの小説を頭の中だけで咀嚼することが出来ずに、文章を書くことでまとめようとしている所作なのです。

「この世の出来事は全部運命と意志の相互作用で生まれるんだって、知ってる?」
ミステリから哲学に、推理モノから時間と空間を超えた物語に。舞城王太郎が伝えたいことを伝えたい方法で伝えると多分こうなるんだろうなぁと思った。

迷子探しの探偵、ディスコ・ウェンズデイ=ウィリアム・イーディ=踊場水太郎。
JDCライクな名探偵たちによる推理合戦、タイムスリップ、北欧神話やカバラ・タロットの見立て殺人、ロボトミー手術、宇宙論から何から何までいろんなガジェットを盛り込んで物語は進んでいく。
劇中では人から発現される「意識」や「知」は時間や空間などの次元よりも上位に存在し、故に人は意思を持てば時間や空間を超越できる。「意識」は肉体に宿るものではなく、「意識」として存在しうるので、他の肉体や人以外の何かにも宿ることができる。
愛る者達を守る意思は何より強く、ディスコは守るために時空を超えて奔走する。

いろんなガジェットがあるけど、それでもやっぱりディスコ・ウェンズデイ=踊場水太郎(そしておそらく舞城王太郎)が伝えたい事は冒頭の「この世の出来事は運命と意思の相互作用で生まれ、一人ひとりが意思を持つことで世界を変えていける」っていうそれだけ抜き出すとなんか別の話になりそうな事。そのためにディスコは世界を駆け巡り奮闘している。ディスコが助けたいのは目の前の人だけじゃなくて、人類全体で、ディスコを動かしているのは人としての使命感で、ではここでいうディスコに影響を与えている意思ってやつは個々人によるものではなく、人全体の意思かもしれなくて、んじゃ個人の意思と全体の意思とは一体どこまでが個人の意思でどこまでが全体の意思なのか。自分の意思は他人を変えるがではその自分は意思は誰から与えられた意思なのか。そんな堂々巡りにもディスコ=舞城なりの答えがあり、はっとさせられたりする。

舞城王太郎はそーゆーストレートなことを、小説・言葉を武器にして、結構暴力的な武器にして伝えることができる作家だと思う。

舞城王太郎の小説を読むと、ああこうやって日本語って使えるんだ、こうやって伝えることもできるんだと感動してしまう。同じ日本語を使っているはずなのに、舞城の文章は踊るし殴る。けど伝えたい事は伝わる。どうやったらこんな文章をかけるんだろう。

次はビッチマグネットを読むんだ、、、。いつ読むんだろう。
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