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言葉は人を殺すのか。

Twitterからgoogleバズからブログからメールから、文章量がえらい増えてきた。
色んなサービスが発生し、利用が容易な状況ができ、数年前と明らかに変わったと感じるのは、事務要件以外の会話なども文字で語られることが増えたこと。そして準特定多数の人が会話のやりとりが見えるようになったこと。だと感じる。

まぁ多分周りのみんながそういうのに平均的に長けている+仕事で使わざるをえないのでよりそういう状況になっているのだが、多分この流れは拡大していくだろう。

僕は今、実際に顔を合わして話しているメンバーと主にTwitterやgoogleバズを使っているから相当楽しい。結構みんなが今何をしているのかとかが、そこに人が居なくてもわかるってのはWEBしかできんことやと思う。

食事一つとってみても、日記や会話は、「食事をした」記録しか残らないが、Twitterだと「今まさに腹が減っている自分」や「食事をしていて満たされつつある自分」といった現在進行形の心情を残し伝えることが簡単にできるのは、Twitterだけだと思う。

でも、議論ができんのよねー。文章ってやつは。
心情を伝えるためには、多分文章ではなくて、小説のように物語る必要があるのだと思う。
笑う行動一つとっても、どのように笑ったのか、何を感じて笑ったのか、大笑いか微笑かなどなど、笑うに付随する自分の感情の変化や周りの状況の変化を語らないと、その笑ったが何を意味しているのかがわからない。
文章は、相手の出方や雰囲気をみて、こちらの話す、強さやスピード目線を変えることができない。
「ワラタ」「ww」「(笑)」の定型句は、ある程度心情と合わせて伝えることはできるが、心情付き定型句であるが故に、その人独自の笑い方を判別できず、定型句以上の情報を伝えることができないのだ。

物語ることは、誤読の可能性を残し、誤読を許容する発信者側の心情が、受信者の解釈の広がりを見せ、それが物語をより深みのあるものにするのだ。
誤読誤解を許さないのは科学的なレポートであり、誤解誤読を許さない物語は受信者に緊張を強いる。

その余裕がない物語らせが、その狭量な物語が、人を追い込み殺すのだ。
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はてしない物語。

切込隊長BLOG。赤ちゃんの顔を見ながら、仕事と家庭の両立について思う(雑感)。
地震があろうがなかろうが、生き残った人間ができることは頑張って生きていくこと以外にないのだな。

色んな事が一日で変わってしまって、でも自分の生活は変わらないことに違和感。

親友や知り合いが東京にいて、弟が横浜にして、そっちは未だに回復なんてしていない
のにこっちは特に変わりない日常。少し前までは一緒に暮らしていたり、寮で馬鹿騒ぎ
していたのに。いつの間にやら、立っている場所やら環境が変わってきてた。

崩壊や生命の危機にさらされるのは大抵は映画や小説の世界で、読み終われば
現実に戻されるのが映画や小説だが、映画や小説のような現実の出来事は
危機が終わってからも続いている。
色んなことがありながら、毎日続いている。

なんとかならないことも、なんとかならないなりになんとかなる。
ファンタージェンにもいかず、幼ごころの君に名前をつけることも出来ず、
現実と折り合いをつけながら、それなりに頑張っています。
そんなこんなで、気がついたら30歳です。後20年かー。
長いのか短いのかわからんなー。

いつのことだか、おもいだしてごらん。

昨年のPCお渡しの会議は3/15にして話し合った内容はこれでなるほど
ここで引っかかっていたのか僕は。亮さんからのメールをとりあえず確認して
前後何があったか思い出そう。

evernote超便利。使い続けて丸1年。1年間の作ったデータ・撮影した写真、ブログの内容
気になった記事や一言コメント、全部Evernoteに放りこんでいます。

当初の便利は、「全部一つのソフトにまとめて、タグやノートなどで柔軟に検索ができる」
だけでした。これだけでも、フォルダ分けの必要もなく、「このデータは、どちらのフォルダにも
入るやつだしなぁ…どこに入れよう?」のこうもり問題も解決し、とりあえずキーワードいれておけば
出てくる、キーワードと、大体の日付さえ覚えておけば、必要なデータは抽出できる。で相当便利。

今は追加して「昨年の企画の一挙手一投足が思い出せる」が入りました。
行事が終わった後で過去を振り返る総括ではなく、その時点で何があったのか時系列で
思い出せるのは相当便利。写真とコメントで、すぐに1年前に立ち戻れる。
一行でもあったことを日記に書いておくと、その頃のことが思い出されるのと一緒の
理由なんやろうなぁ。とにかく、思い出せる安心が、業務負担を相当に減らしてくれています。

picasaやgoogleカレンダーなど、過去に戻るのは本当に容易になった。
デジタルカメラを持ち出したのが、1999年で、データ消失の憂き目にも会いながら、たまった
写真は10,000枚以上。見たら思い出せる事実が、人の記憶ってやつは忘れるではなくて、
引き出せなくなることだと実感できる。

10年前は思い出せるけど、一昨日の夕食を思い出せないのは仕様です。
何食べたっけ…。

物差すことば。

文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく
事物との距離を確認するものである。必要なのは感性ではなく、
ものさしだ。(via:風の歌を聴け)

高校生から日記を書き出して、今に至る。
高校生のころは文章・長文と言えば、日記位だったと考えると
今は仕事で文章を毎日書くし、こうやってブログもする、メールも
すればTwitterまでと思うと、紡ぐ機会は偉い増えたなぁと思う。

ブログに関して数年前から続けているけど、昔に比べて、出来事を書くことが
すごい減った。仕事をしている関係で、「後から誰に見られても後ろめたくない」
文章を書く必要がありつつ印象に残った出来事を書くってのが難しかったりする。
そういう意味では公開しない、高校生の紙の日記の方がよっぽど個人の話だった
と思う。読み返したいかって言われると、未来の自分向けでもなかったので
あまり読み返したいとも思わないけど。

ブログは他の人にも見せるってのはあるけど、なにより後の自分が
見られる文章にしているってのはあるかもしれないなぁ。

文章を書くと、出てきた文章と内面で考えたこととの違和感を確認できる。
この違和感がものさし片手に測ってみた、事物との距離なのか。

縛られない生活。

ひょんなことから、ワイヤレスマウスをもらった。
使い始めて数週間経つ。便利。

キャリア関係の講座をひっさしぶりにしたんですが、パソコンとマウスがコードに
繋がれていないだけでここまで、身体表現(ジャスチャーや問いかけ)が増えるのかと
思った。テーマや伝えたいことを絞る縛るは必要ですが、プレゼンテーションでの
物理的な縛りは邪魔以外の何者でもなかったのだなぁと理解。

ワイヤレスにするだけで、使用用途が革命的に変わったものは結構ある。
デジカメで撮った写真をすぐにパソコン上に保管できる、無線LAN機能付きSD
カード「Eye-fi」や無線LAN機能がついていて、データをすぐに反映できる体重計、
WiFi Body Scale」どれも、ワイヤレスにすることで、そこに本来あった作業を
全く0にしてしまった。

パソコンの色々が面倒なのは、ルーチン化や自動化がされていないからで、
ほんの数クリックを減らすことで、パソコンの活用は広がると思う。
つぶやく炊飯器やつぶやくエアコンはきっと数年後には商品化されて、エアコンの
付け忘れの確認は外でエアコンのつぶやきを見ればわかるようになる。

効率よくパソコンを使うために、そのものの知識が重要で、パソコンという
ハードを鉛筆ノートなどの様に、意識せずに活用するためには、意識的に
パソコンに触れる必要があるという矛盾。面倒な数クリックを、0クリックに
するために、誰でもとは言い難い知識と、パソコンを使ってそういう作り込みを
したいと思える嗜好が必要になります。

誰でも彼でも同じように、使えない部分でパソコンはまだまだ、白物家電には
到底追いつくものでもないし、そもそも競う部分でないのかと思います。

こども銀行券もある意味お金。

スペインの一部住民が廃止された通貨ペセタを勝手に復活させている。
こういう事を聞くと、やっぱり貨幣ってのは共同幻想なんだなぁと思う。
両者が、交換可能だと判断したら、貝殻だってなんだって、何とでも交換できる
貨幣の代わりになる。

小学校の頃に、クラスで各自不要なものを持ち込んでバザーをした。
年に数回だけだけど、その時の貨幣は牛乳キャップだった。
ちなみに、牛乳キャップは給食で手に入るが、増やすためには
地道に集めるか、キャップ返しというゲームをして増やす必要が
あった。今考えるとゲームで増やした、擬似貨幣で商品の
交換をするって結構すれすれな気がするが、まぁいいでしょう。

今はただのゴミだけど、小学校当時の牛乳キャップはまさに貨幣と
同じ扱いでした。地方の珍しい牛乳キャップは「めずら」と呼ばれ
給食で出てくる牛乳キャップ何枚分かの価値がありました。

やっていることはそのころと何も変わってないんかもねー。


僕にとっての大学。


東京ファイティングキッズ東京ファイティングキッズ
(2004/09)
内田 樹、平川 克美 他

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仕事から帰れば、本ばかり読んでます。
ストレスの解消が、ガジェットか読書。ストレスがたまると電子機器が増える。
ギャンブルとかがストレス解消手段じゃなくて良かったと思おう。

久々に再読。「東京ファイティングキッズ」内田樹と平川克美の共著。
往復書簡で、ビジネスや大学や社会についての思考思想のやりとりをしている本。
大学について。
「端的に言ってぼくにとっての大学っていうのは、ひとりの青二才が成長して
ゆくための「場所」であったと思っています。それは、大学が特別な何かで
あったというよりも、二十歳を経過するという時期にそこを通過したという
メモリアルな場所であったという意味です。そしてそれ以外はなかったという
ことも付け加える必要があると思います。」

僕にとっての理想の大学は「わけわからん」場所が沢山あって、適切な立ち居
振る舞いがあれば、そのわけわからん場所の一員になって、生活や活動ができる。
そんなイメージを持てる場所であることだと思う。
親元から離れ、それなりに自分の行動に自由と責任が伴い、やりたいことを
やれるし悩む時期だと思う。僕は自分の考え方の基本は高校と大学で礎が築かれた
と思っていて、それはひとりで考えることが多かったり、わけわからん場所で、
わけわからず色んなことができたからだと思う。

自分が長くいるからか、年を取ったからか、わけわからん場所が減っている
ような気がする、色んな場所が通行禁止になり、門限ができ、綺麗になって
いると思う。
大人がかかわり過ぎているのかなぁ。失敗しなく(できなく)なっているのかなぁ。

そう意味での「わけわからん」の最近の経験は、北海道の桃岩荘ユースホステル
だったかも。古き良きユースホステル。一宿一飯一期一会を楽しむユースホステル。
多分ひとりで行かないと、普段の自分が邪魔して楽しめなかったんやろうなぁあの場所は。
桃岩含めて北海道はわけわからん場所が沢山あって楽しかった。
また行きたいなぁ。沖縄にも行きたいなぁ。

徐々に暖かくなってきた。
そろそろ道祖神の招きにあって落ち着かない日々がやってきます。


ターベルコース・イン・マジック。


ターベルコースインマジック第1巻ターベルコースインマジック第1巻
()
テンヨー

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気がついたら絶版になっていたのか。惜しい本が絶版になっているなぁ。
手品の百科事典としては右にでる書籍はないのに…。

小学校の学活で初めて手品というものをした(安全ピンを貫通する割り箸)。

神戸市の小学校では学活があって、その中で何ヶ月かに1回一人ひとり発表を
する時間があった。
僕は、不思議な事を見るのも好きだしそれを自分でできるってのが面白く、後は他に
ネタがないこともあり、小学校の学活内の発表では常に手品をしていた。

大学4年生になって、趣味と言えばこれ!と言えるものを余り持っておらず、何か
したいなーと思って、書籍を買い、また練習を始めた。

ターベルコースインマジックは全巻もっています。ぜんっぜん使えてないです。
購入に踏み切ったのが、手品をもっとしたい!と思ってからで、多分その後すぐ
社会人になってしまい、練習する機会自体が消滅したのが主な原因。

家の本棚の一画に鎮座ましまし、はよ使えと重圧をかけてくる書籍どもです。

僕は多分この本とは一生の付き合いになるんだろうなぁと予感しています。
内容の濃さから考えて、ゆっくり少しずつ読み解くものになるし。

これからも仲良くやっていこう。


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Author:犬
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