スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

言葉は人を殺すのか。

Twitterからgoogleバズからブログからメールから、文章量がえらい増えてきた。
色んなサービスが発生し、利用が容易な状況ができ、数年前と明らかに変わったと感じるのは、事務要件以外の会話なども文字で語られることが増えたこと。そして準特定多数の人が会話のやりとりが見えるようになったこと。だと感じる。

まぁ多分周りのみんながそういうのに平均的に長けている+仕事で使わざるをえないのでよりそういう状況になっているのだが、多分この流れは拡大していくだろう。

僕は今、実際に顔を合わして話しているメンバーと主にTwitterやgoogleバズを使っているから相当楽しい。結構みんなが今何をしているのかとかが、そこに人が居なくてもわかるってのはWEBしかできんことやと思う。

食事一つとってみても、日記や会話は、「食事をした」記録しか残らないが、Twitterだと「今まさに腹が減っている自分」や「食事をしていて満たされつつある自分」といった現在進行形の心情を残し伝えることが簡単にできるのは、Twitterだけだと思う。

でも、議論ができんのよねー。文章ってやつは。
心情を伝えるためには、多分文章ではなくて、小説のように物語る必要があるのだと思う。
笑う行動一つとっても、どのように笑ったのか、何を感じて笑ったのか、大笑いか微笑かなどなど、笑うに付随する自分の感情の変化や周りの状況の変化を語らないと、その笑ったが何を意味しているのかがわからない。
文章は、相手の出方や雰囲気をみて、こちらの話す、強さやスピード目線を変えることができない。
「ワラタ」「ww」「(笑)」の定型句は、ある程度心情と合わせて伝えることはできるが、心情付き定型句であるが故に、その人独自の笑い方を判別できず、定型句以上の情報を伝えることができないのだ。

物語ることは、誤読の可能性を残し、誤読を許容する発信者側の心情が、受信者の解釈の広がりを見せ、それが物語をより深みのあるものにするのだ。
誤読誤解を許さないのは科学的なレポートであり、誤解誤読を許さない物語は受信者に緊張を強いる。

その余裕がない物語らせが、その狭量な物語が、人を追い込み殺すのだ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

犬

Author:犬
ごゆるりと。

カウンター
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
カテゴリー
タグ

市況雑感 Evernote 書評 原付一人旅 iPhone キャリアカウンセリング Mac ライフログ kindle 

ブログ内検索
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。