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ジョージ・オーウェル「1984年」読了


一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
(2009/07/18)
ジョージ・オーウェル

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あらすじを知っている気になっているけど読んだことのない本を読もう週間。
いわゆる、情報化社会・管理社会という話になると、負の側面として出てくる「1984年」。
ディストピア小説としては多分いちばんメジャーで、1Q84やら、シュタゲやらで出てた(ような気がする)ので名前だけはよく知られている小説だと思う。

舞台となる世界は、3つの大国に分割統治されていて、常に戦争状態にある。主人公が住む国は全体主義の統制社会で、個人の自由は存在しない。テレスクリーンと呼ばれる監視装置があらゆるところにあり、国民の全ての行動は監視されている。政府の選択と行動は常に正しい。正しくなるように、あらゆる事実は改竄されている。反政府的な行動はテレスクリーンによってすぐに把握され、粛清される。そんな社会に疑問を持った主人公は、反政府組織「兄弟同盟」に接触しようと試みる。

ディストピア的な世界観なので、話題に出るときに肯定的に捉えられることはまずなくて、俗に「1984的社会」とは、一部企業や国家に情報を握られて、届けられる情報を取捨選択される管理社会として紹介されている。

と、いう先入観で読み始めたのですが、いざ読み終えてみると当初の印象と読後の印象がなぜか違う。
うーん。なんでだろうなんでだろうと考えてみたら、情報統制に関わる「直接感」が引き合いに出されている「1984的社会」と小説の「1984年」の違いなのだと思った。

「1984年」は情報統制もするが、一番恐ろしいと思ったのが思想教育の部分で、反政府的な思想をもたないような取り組みを進めるし、反政府的思想を持った人を強制的に思想変換する。小説で感じたのは、常に人がいる直接感で、改竄も暴力も思想も全て誰かが誰かに向けてやっている感覚が当初のイメージと違った。
小説に出てくる、政府の象徴である「ビックブラザー」は本当に象徴でしかなく、存命の是非は問われていない。翻ってよく例に出る「1984的社会」では「グーグルゾン」とか象徴ではなく存在していることが前提でその存在が社会に暗い影を落とすという語り口調なので、そこも小説と引き合いに出される現実との違和感なのかと思った。

「1984年」と今との明確な違いは、様々な情報の取捨選択が読み手に委ねられていることだと思う。インターネットが情報収集発信のツールの一つになって、「1984的社会」が危惧されることもあるけど、甲論乙駁賛否両論を飛び交わせる限り「1984的社会」はインターネットや一企業の思惑によって到達されることはないと思いました。
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